庭にはさまざまな鳥や生き物、あるいは種子などが集まる。食べ物を探しに来る者、休憩をしに来る者、待ち合わせをする者。ふらりと勝手に入ってきてはひとときを過ごして、またどこかへ散り散りに出かけていく。生態系を共にする者たちが、たまたま草木の生い茂る場所にたどり着く。
計画のあるなしにかかわらず枝は自由に生え続け、葉は陽射しをもとめるように広がって生える。そしてそのひとつひとつが鳥の留まる足場になる。よくもあんなに柔い枝に留まることができるのだなと思いながら見る。わたしたちが忌避する虫たちを食べている。
生活の拠点にするものもいるかもしれないし、一生に一度だけの機会となるものもいるかもしれない。その一時性。毎秒ごとに風景は変わり、次の瞬間に見たこともない鳥がやってくるかもしれないし、咲いていた花弁のひとつが落ちるかもしれない。つねに偶然性を孕んだ時間が流れている。
その足元では意志もなく風に乗って、意志もなくここに根を張る種子もある。ふと訪れる猫の身体について運ばれてくるものもあるだろう。意志をもたないからこそどこにでも行くことができる不思議な存在。種子は、わたしたちが見ることができない土という暗闇の中でもゆっくりとその命をすすみつづけ、いつしか芽を出す。知らないうちにともにあることに驚きながら、その未知の時間に思いを馳せる。
たまたまあるだけの場所が、あるだけで、さまざまな生物に流れる時間のその一瞬が混交する場所として存在していることが素晴らしい。生命の短いものも、生命の長いものも、その生命の一瞬の交わりがここにある。そのすべてが偶然に支配されていて、その積み重ねが風景を作っている。それはわたしたちも同じ。偶然この場所にいて、偶然その風景の一部となっている。