毎日犬の散歩に行く。飼っているトイプードルはもう8歳になる。飼い始めてからというもの、天気が悪い日と外出していた日以外はほとんど散歩に行けていることがささやかな自信になっている。

それぞれの季節のいちばん暖かい時間帯に散歩に出かけるのだが、今は少し遅いお昼ご飯を食べ終わった14時くらいの気温がちょうどいい。太陽もまだ高く、ほどよく暖まった地表と太陽光が身体を温めてくれる。犬はそのような習慣をすぐに覚えて、僕がご飯を食べ終わると隣でこちらをみておすわりをはじめる。食べ終わったら少しはゆっくりしたいものだが、そのように待たれるとこちらもその期待に応えたくなり、「じゃあ行こうか」となる。

2月の半ばくらいから暖かい日が出始める。冷たい風が吹いているのになんで暖かくなっていくのだろうと不思議に思う。冬から春・夏にかけては太陽が地上を照らす時間も長くなっていっているから放射の収支がプラスにはたらいている…とか、移動性高気圧が南よりの風を運ぶ…とか、理由はさまざまあるようだ。気象の勉強をしているのに、気温が高いということがどういうことなのかいまいちわからない。

とはいえ2月の13時から14時はあたたかい時間帯だということは経験からわかる。それが犬にもわかるのだろう、風や気温が気持ちいい日はとびきり楽しそうに走る。そういうとき、感覚が同じなのかなとうれしくなる。だからこそお腹いっぱいで眠たい自分のお尻を叩いて犬の言う通りにする。

二十四節気の「雨水」を迎え、一気に梅が咲き始めた。至る所でピンクや赤に染まっている木がみえる。あれも梅だったのかと知る。そのうち鬱蒼と葉っぱが生い茂るようにはまだ見えない禿げた木の枝。「雨水」は農耕を始める時期の目安だという。たしかにこのところ町からは肥料のにおいがする。

現代、自由自在に明かりをつけることができるし、部屋の温度や湿度をコントロールして過ごしやすい空気にも変えられる。どんな時間でも快適な生活ができるように整っている。でも、生活が自然と切り離されているということで人間はしっかりと人間の社会や時間に閉じ込められていて、人間の方で発生した責務や責任は、人間である自分がちゃんととらないといけないのだという生きづらさにつながっている気もする。イレギュラーを許さず、みんなが同じペースで生きるように整備されてしまったのだ。だからなかなか休みもとれず、休もうとするものなら自分の中から罪悪感が込み上げる。雨が降って予定がなくなったときの安心感たるや。そんな人間の世界に辟易とする。休め休め休め。自然とともに生活するのは大変なものだけど、自然は、人間の責任をある程度融解してくれる存在であって、予定調和の中に生きているわけではないということを思い出すためにも、突き放してはいけないと感じる。