暖かい日が続いている。日中、外を歩いていると暑くなって上着がいらなくなり、たくさん着たい上着が必要な期間が一週間しかないかなしさを感じている。今年2026年はスーパーエルニーニョ現象が発生するとの予測がされている。数十年に一度起こるといわれているものの前回発生したのは2023年。世界中で最高気温が更新された。気温は上がり続けている。経験では説明ができない時代に入ろうとしている。

足を止めて鳥を観察する時間が長くなった。よくみると頭にトサカがついていたり、そこそこ大きかったり、お腹が赤かったり。じっと目を凝らして見つめるとけっこういろいろな鳥がみつけられる。足を止める。見つめる。いままでずっと難しかったことだ。いつもなにかに追われていて、なにかに追われていないときもなにかに追われているようになって、散歩に出かけてもすぐに帰りたくなった。だからあまり意味がないようなことをしていた気がする。でもこのところ、今日はちょっとあちらを回ってみようとかここにちょっと座ってみようとか、余裕のある散歩ができるようになってきた。

足を止めるなんてわけのないことだ。動いている足を止めればいい。でもそれができない。足を止めると「休むなー!」とだれかにつっこまれそうな気がする。あくせく働きつづけるエンジンがしらないうちに搭載されている。気づいた。同じところにたちどまって360度を見渡してみることの意味がありすぎる。みえるみえるしらない景色。足元に生えた草や鳥や生き物の多様なすがたに気づく。きみたちそんなかたちをしていたのか。しゃがむだけでいつもみている景色が大人のスケールから子どものスケールに変わる。身のまわりだけでもこんなに豊かだったんだと思う。葉っぱに手を伸ばす。さわってみても世界が違って見える。すーはーと息をする。身体の中の酸素が巡っていくのがわかる。

講師としてだが定期的に芸術を扱う大学に通うようになったからか、ゆっくりものごとをみることに意識が向くようだ。文化とはすこし距離の離れた場所で育ったからもともと芸術分野には疎い。絵も描くのが苦手で、本も読まないし、ものづくりに対して冷めていたほうだ。美術も 音楽も体育も成績は2!大学への進学という選択肢も生まれなかった可能性があるわけだから美大なんて考えたこともなかったんです。そういう方面でなにかを楽しむということを知ったのは大学に入ってから、美術にふれるなんてのは社会人になってから。でもそれからというものそこにとても惹き込まれてしまったわけだけど、大学に入る前にじゅうぶんそのような時間をもってきたであろう学生たちをみるととても輝いてみえる。自分がこれから何を生み出すのかを4年かけて考えられるのってとてもすばらしいことだよ。

でも思う。つくることはいつでもはじめられるものだと。いまの時代、技術もオープンにされていて、ひとつひとつのコストも安い。情熱があればなんだって進むことができる。そう思いながらでないととてもじゃないけど前には立てないけれど、でもちゃんとそう思う。

というのも、教える立場でありながらおそらくいちばん成長させられているのは僕なのだ。絵を描いてみたいなとか、音楽を作ってみたいなとか、ずっとそういうことをかんがえている。自分で風景を立ち上げることに興味がある。今まで考えたこともなかった。現実はそれより手前のところでつまづく。まず絵を描こうとすると時間がかかる。輪郭を描くだけでもせいいっぱい。時間や集中力を自分の中に取り戻すのも必要だ。コンピュータに慣れすぎてしまったみたいだ。道のりは遠いが、ゆっくりを受け入れてくれるのも芸術のいいところだろうか。気象予報士の試験を受けたりしているのもその一環な気もする。じっさい、水の分子や雪の結晶、大気の流れを知って沸くインスピレーションがあったりなかったり。出会う人やものごとに影響を受けながら、なんだかゆっくり美大生をやっている気持ちでいるのです。とりとめもない話をしてしまったな。